院長プロフィール

 名前 :矢上真吾(やがみしんご)

生年月日:1981年6月13日生まれ
 出身 :
埼玉県出身ですが両親が鹿児島の離島出身なために薄い九州顔です
 家族 :
妻、女の子2人、男の子1人の父親です

 資格 :はり師

     きゅう師

     あん摩マッサージ指圧師 (以上国家資格)

     施術管理者

     認定機能訓練指導員

     ベーシックライフセーバー(日本ライフセービング協会認定)

     ダイエット検定1級(日本ダイエット健康協会認定)

名前:矢上真吾(やがみしんご)
出身:
埼玉県出身ですが両親が鹿児島の離島出身なために薄い九州顔です
家族:
妻、女の子2人、男の子1人の父親です

経歴:

 

野球と空手とサッカーと  

 

小学校時代は野球と空手に明け暮れました。

 

野球では6年生の時にキャプテンを務めるほど一生懸命に取り組

 

でいました。

 

(キャプテンに選ばれた理由は、誰よりも声が大きくて、誰より

 

も元気だからだそうです笑)

野球も空手も大好きでしたが、

 

高学年になる頃から周囲との身長差(体格差)に悩まされ、

 

このまま続けていても伸びしろが少ないな~と感じていました。

 

中学生になったら他のスポーツを試してみようかなとあれこれ探

 

し始め、

 

ちょうどJリーグブームもあり、

 

友達も沢山できそうで身長のハンデが少なそうなサッカー部へ入

 

部しました。

 

サッカー部を選んだことが後々の人生に大きな影響を与えること

 

になりました。

サッカー部に入部して

 

最初は初心者だったため補欠でしたが、持ち前の明るさとガッツと運の良さ(たまたま自分のポジションのレギュラーだった子がポジションチェンジをし、空いた所に私が入り、そのままチームが勝ち続けたため)により、2年生の途中からレギュラーを獲得。

 

3年生時には県大会ベスト8進出。

 

関東大会予選準優勝。

 

全日本Jrユース選手権予選出場を果たしました。

 

中学校の3年間は厳しくも刺激があり、密度の濃い素敵な時間でした。(浦和レッズJrユースに敗戦して引退。Jリーグの下部組織と対戦できるなんて入部当初は考えもしませんでした。。)

高校はサッカーの強豪校ではなく、普通の公立高校へ。

 

 

この頃からサッカーサッカーというよりもこの先の人生や進路

 についてよく考えるようになりました。

 

中学の3年間は実績は素晴らしいものでしたが、私個人で考えると、サッカーで上を目指すのは厳しいな、かと言って勉強で上を目指せるのかと言えばそこまで秀才でもない。

 

自分の凡庸な才能で、何を磨くべきか、自問していました。

父親の影響で治療家の道へ

治療家を目指したきっかけは、父親の影響になります。

 

父はもともと腰が悪く、私が小学生の時には腰痛の影響で仕事を休んで家で寝込むこともしばしば。

 

子ども心に「我が家の将来は大丈夫なのか?」と心配になりました。

 

矢上家の上には薄暗い雲がかかっているように感じました。

 

ところがある日、薄暗かった雲が嘘のように晴れやかに、明るくなる出来事が起きました。

 

母が見つけてきた整体法(五味式骨盤調整法)が父の腰痛を治したのです。

 

この出来事に両親は感激し、今度は自分たちがこの技術を身に付けて地域の方々へ還元しようと思い立ち、整体学校へ通い始めました。

 

そしてその数か月後には自宅で整体院を開業していました。

 

時代が良かったのか開業当初から治療院は繁盛しました。

 

最初は兼業で始めた父でしたが、すぐに会社を辞めて専業で行いました。

 

翌年には「もっと知識を深めて地域に貢献したい」という思いから鍼灸学校へ入学し3年後には国家資格を取得。

 

治療院も鍼灸整体院に生まれ変わりました。

 

両親が生き生きと働いている姿に影響を受けたのか、姉も兄も続いて鍼灸学校へ進み治療家の道へ。

 

私も意識はしていましたが、幼少期より教員になりたい夢があったために高校3年生までは大学を目指していました。

 

しかし18歳の誕生日に父と話す機会があり、その時に父から鍼灸、治療にかける想いや熱意を聞かされて私も家族と同じ道に進むことを決意しました。

 

(現在は両親は引退し、姉は埼玉で鍼灸院を開き、兄は横浜で治療院(兄の奥様も鍼灸師で治療院を手伝っています)と、姉弟皆が両親の意志を引き継いで治療院を経営しています。今も年末年始は家族で集まり、かなりディープな治療談議で盛り上がっております。笑)

 

先輩トレーナーに憧れて

東京医療専門学校へ入学後はアルバイト生活。

 

アルバイトと言っても職業学校なので将来の仕事に関わるジャンルで行いました。

 

1年生は知識を増やすために整形外科でアルバイト。

 

2年生になると実技を磨くためマッサージ院(リラクゼーションサロン)へ。

 

そして3年生はマッサージだけでなく鍼灸にも触れたくなり鍼灸整骨院でアルバイトを行いました。

 

専門学校卒業後はそのままアルバイト先の千葉県市川市の鍼灸整骨院へ就職しました。

 

ところが、就職後1年も経たぬうちに鍼灸整骨院を退職することに。

 

実はマッサージ院時代にお世話になった先輩が独立してスポーツトレーナーとして活躍。

 

そんな先輩の姿を見てスポーツトレーナーに対して憧れを抱くようになり、勝手に目指し、勢い余って働いていた鍼灸整骨院に辞表を提出してしまいました。

 

実はこの時はまだ、その後の進路は決まっていない状態でしたが、辞表提出3日後に専門学校の恩師から呼び出されヴァンフォーレ甲府のトレーナーの話を頂くという奇跡が起きます。

 

そして翌年の2004年2月から正式にヴァンフォーレ甲府トップチームトレーナーとなりました。

右も左も分からないトレーナー時代

実はヴァンフォーレ甲府と契約した当初の私のトレーナーの知識は、選手の治療をする人、というレベルでした。

テーピングは勿論、怪我の評価やリハビリなど、アイシングの作り方まで何一つ分からないままトレーナーの世界に飛び込んでしまった

トレーナーを始めた当初に私が持っていた知識、技術が10だとしたら、本来持っていなきゃいけない知識と技術は1000あるイメージ

練習初日を見たあとの先輩トレーナーの顔は本当に愕然としていました。